2025年11月21日のNHKあさイチに出演された世界的指揮者、山田和樹さん、世界のクラシック界を席巻するカリスマ指揮者の経歴やコンサート予定について紹介します。貴重なインタービュー内容も下のほうで紹介します。
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山田和樹:世界のクラシック界を席巻!熱狂を生み出すカリスマ指揮者の全貌
今、世界のクラシック界で最も注目すべき日本人指揮者、山田和樹氏の経歴や魅力と、彼がこれから切り開く驚異的な未来、コンサート予定などについてご紹介します!

彼の情熱的でカリスマあふれる活躍には、「すごい!」と誰もが共感すること間違いなしです!
山田和樹の挑戦とその背景
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指揮者・山田和樹とは?驚異的な経歴とプロフィール
山田和樹氏は、1979年1月26日生まれの日本の指揮者です。神奈川県秦野市出身で、地元のはだのふるさと大使も務めています。
彼のキャリアにおける最大の転機は、2009年の第51回ブザンソン国際指揮者コンクールでの優勝です!これは、日本人として小澤征爾氏以来8人目という歴史的な快挙であり、同時に聴衆賞も受賞するという圧倒的な結果でした。この成功により、彼は瞬く間にBBC交響楽団でのヨーロッパ・デビューを果たし、同年にはパリ管弦楽団の代役を務めるなど、破竹の勢いで活動の場を広げました。

本当に驚異的ですね!
彼は現在、ヨーロッパの主要なポストを兼任しています。具体的には、バーミンガム市交響楽団(CBSO)の音楽監督と、モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団(OPMC)の芸術監督兼音楽監督です。日本国内でも、東京混声合唱団の音楽監督兼理事長、そして学生時代に創設した横浜シンフォニエッタの音楽監督を務めており、その多忙さとエネルギーには頭が下がるばかりです!
山田和樹の音楽家としての成長
山田氏の音楽との出会いは、ご両親が音楽家ではない普通の家庭で育った中で、父親の転勤で名古屋へ引っ越した際に、たまたま通った幼稚園が木下式音感教育法を採用していたことがきっかけでした。

もし転勤がなければ、音楽家になっていなかったかもしれない、というから、まさに運命的な出会いだったと言えます!
小学生時代は練習嫌いだった彼ですが、発表会で暗譜が飛んで演奏が止まったという経験が、彼を音楽に真剣に向き合わせる「スタート」となりました。その後、ベートーヴェンのソナタの激しいコントラストに衝撃を受け、「カッコイイ!」と熱中し、のめり込むように練習するようになったのです。
プロの指揮者を目指す決意をしたのは、高校3年生の時。才能や練習量から職業にすることは考えていなかった彼が、高校2年生の終わりにプロのオーケストラを指揮した経験(曲は「蛍の光」)が、彼の人生を決定づけました。彼はこの決断を「人生を棒に振る選択」だったと表現していますが、その情熱こそが現在の活躍に繋がっているのですね!東京芸術大学では、モーツァルトとロシアのロマン派のレパートリーに深く傾倒しました。
家族の影響と支え:運命の転勤が導いた道
山田氏の音楽的なルーツは、ご家族の存在、特に父親の転勤によって偶然音楽教育のある幼稚園に入ったことにあります。

この偶然の出会いこそが、彼を世界のトップマエストロへと導く最初の一歩だったのです。
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山田和樹の学歴と著名な業績

ブザンソン国際指揮者コンクール
東京芸術大学での学びと影響
山田和樹氏は東京芸術大学音楽学部指揮科で学び、2001年に卒業しました。指揮法を小林研一郎氏と松尾葉子氏に師事しました。
特筆すべきは、在学中に学生有志とともに結成した「TOMATOフィルハーモニー管弦楽団」が、現在の横浜シンフォニエッタへと発展したことです。学生時代から既にオーケストラを主導する才能を発揮していたとは、さすがですね!
指揮者としての初演と受賞歴
彼の輝かしい業績は、数々の受賞歴によって裏付けられています。ブザンソン優勝に加え、出光音楽賞、渡邉暁雄音楽基金音楽賞、齋藤秀雄メモリアル基金賞を受賞。また、日本フィルとの『山田和樹マーラー・ツィクルス』の成果で第67回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞しています。さらに、2022年にはモナコ公国からシュバリエ文化功労勲章を受章するという、国際的な評価も獲得しています。
日本におけるオーケストラの活動
国際的な多忙さにもかかわらず、山田氏は毎年、日本のオーケストラとの共演を続けています。かつては日本フィルハーモニー交響楽団の正指揮者、読売日本交響楽団の首席客演指揮者を務め、現在も横浜シンフォニエッタの音楽監督、東京混声合唱団の音楽監督兼理事長として国内の音楽界を牽引しています。
2025年のコンサートと大規模公演

コンサート予定
2025年の公演予定とチケット情報

2025年後半から2026年初頭にかけての公演スケジュールは、まさにファンにとってのビッグイベントが目白押しです!
2025年11月の日本フィルハーモニー交響楽団との定期演奏会(サントリーホール)では、ドビュッシー「遊戯」、武満徹「マイ・ウェイ・オブ・ライフ」、そして聴衆を熱狂させるラヴェル「ボレロ」、プーランク「スターバト・マーテル」が演奏されます。このプログラムは、「世界の頂点へ向かうマエストロの魅力を感知できる、極めて意義深い公演」と評価されており、これはもう必聴です!
また、2025年12月には、バーミンガム市響とR.シュトラウスの『ツァラトゥストラはこう語った』という大作に挑むなど、世界的な大舞台での活躍が続きます。チケット情報は各主催団体にご確認ください。
横浜シンフォニエッタとの共演
彼が創設し、音楽監督を務める横浜シンフォニエッタとの共演は、彼の原点と進化を同時に感じられる貴重な機会です。
東京混声合唱団との特別な演奏
山田氏は東京混声合唱団(東混)の音楽監督兼理事長として、合唱音楽にも深くコミットしています。彼は、リュクサンブール・フィルハーモニー管弦楽団との公演で、東京混声合唱団とともにフォーレの『レクイエム』を演奏する予定です。

日本の合唱団を率いてヨーロッパの名門オーケストラと共演するなんて、本当に誇らしい瞬間ですね!
指揮者としてのスタイルとアプローチ

山田和樹氏の指揮スタイル
山田和樹の指揮法とは?
山田和樹氏の指揮スタイルは、聴衆を虜にする最大の秘密です!彼は「情熱的で協調的」なアプローチで知られ、「笑顔で、魅力的で、音楽を溢れさせているようだ」と評されます。
特に彼のカリスマ性は卓越しており、「指先の合図で巨大な響きを形作ることができる」とまで称賛されています。その演奏は「今まで聞いた中で最もエキサイティングなシューマンの演奏」であり、聴衆を「熱狂の渦に巻き込む」力を持っています。その音楽づくりは「本質に迫るとともにファンタジーあふれる」ものです。
奏者とのコミュニケーション技術
山田氏が重要視するのは、演奏家との「協調的」な関係と、聴衆の存在です。彼は、「聴衆は常に音楽を創ることに参加している。指揮者として、私には演奏家と同じくらい聴衆が必要だ」と強く信じています。
コンサートを「出会いの場」と捉える彼の哲学は、クラシック音楽が、演奏者と聴衆が一体となって感動を共有する、特別なファンタジーを生み出すことを目指しているからこそ生まれたものなのです。
国際的な活動と評判
ベルリンフィルとの共演歴
日本のクラシックファンが歓喜したニュースが、2025年6月のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期公演デビューです!日本人指揮者としては14年ぶりの快挙でした。
そして、この歴史的なデビュー公演は、現地ドイツの新聞で「大成功の夜」と称賛されるという、本当に素晴らしい評判を勝ち取りました!
世界の舞台での存在感
現在、英国とモナコのオーケストラの音楽監督を務める山田氏は、その活躍の場をさらに広げます。なんと、2026/27シーズンからは、クラシック音楽界の最重要拠点の一つであるベルリンで、ベルリン・ドイツ交響楽団(DSO)の首席指揮者兼芸術監督に就任する予定です!これは、彼が世界のクラシック界のトップランナーであることを決定づけるニュースですね。
近年は、ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団、クリーブランド管弦楽団、ニューヨーク・フィルハーモニックなど、世界の名門に続々とデビューを果たしており、その存在感は増すばかりです。
ファンとのつながりとコミュニティ
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演奏会参加の重要性
山田氏は、生の演奏会に参加することの重要性を力説しています。彼は、ホールでの体験は、生のオーケストラ、指揮者、ソリストと「出会う場」であり、クラシック音楽の持つドラマ(苦悩から歓喜へ)を直接心に訴えかけることができる特別な瞬間だと語ります。

「今、その瞬間しか生まれない音楽」を体感するために、ぜひ彼の公演に足を運んでみてください!
公式SNSでの最新情報
山田氏の最新の熱い情報は、彼の公式ウェブサイトや、公式X(旧Twitter)アカウント @yamakazu_taktを通じて発信されています。ぜひフォローして、世界のトップマエストロの動向をリアルタイムで追いかけましょう!
山田和樹の未来の展望
新たな挑戦とプロジェクト
彼の未来における最大の期待は、2026/27シーズンから始まるベルリン・ドイツ交響楽団(DSO)の首席指揮者兼芸術監督としての活動です。彼がベルリンという世界的な舞台でどのような音楽を創造するのか、その挑戦から目が離せません!
また、小澤征爾スイス国際アカデミーに毎年招かれて指導にあたるなど、教育活動にも熱心であり、日本の音楽文化振興のため、2026年4月1日からは東京芸術劇場の芸術監督(音楽部門)に就任予定です。
次世代指揮者としてのビジョン
山田和樹氏は、そのカリスマ性と情熱的な音楽づくりによって、日本を代表するマエストロとしての地位を確立しました。彼が提唱する「聴衆が常に音楽を創ることに参加している」というビジョンは、クラシック音楽の未来が、よりオープンで、共感に満ちた芸術として発展していく希望を示しています。
まとめ:山田和樹の影響と魅力
各公演の価値とその意味
山田氏の公演は、プログラムの「素」の魅力や、東日本大震災の復興支援活動への献身など、深い文化的・社会的な価値を持っています。
彼が指揮する公演では、二つのオーケストラが合同して生み出すような「特別なファンタジー」が生まれます。これは、単なる演奏を超えた、忘れられない感動の体験を私たちに提供してくれます。
山田和樹が映し出す音楽の未来
ブザンソン優勝から世界の主要なオーケストラのポストを歴任し、ついにベルリンという頂点へ上り詰めた山田和樹氏。彼の指揮は、日本の感性と世界のエネルギーを融合させ、聴衆を熱狂の渦に巻き込みます。
山田和樹氏は、クラシック音楽の普遍的なドラマと、未来の可能性を、最も力強く、そして最もエキサイティングに私たちに伝えてくれる、まさに音楽界の希望の星なのです!これからの彼の活躍から、私たちは片時も目を離すことはできません!
2025年11月21日のNHKあさイチに出演した際のインタービュー内容
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の大舞台で指揮
6月にドイツで注目された話題を集めた日本人、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の大舞台で指揮をしました。かつて小澤征爾、佐渡裕さんなども演奏されました。日本人がこの舞台に出るのは14年ぶりです。この日、ベルリン・フィルを指揮したのが山田和樹さん、35歳のときに、「60歳、70歳になった時にも世界で活躍したい。そういう時にベルリン・フィルだったら夢のようだ」という語っていましたが、今年はまだ46歳で夢を実現しました。
ヨーロッパ、アメリカなど世界の有名楽団を指揮
ヨーロッパ、アメリカなど世界の有名楽団を指揮しています。なぜこんなにも山田さんの音楽が世界の人々を魅了するのでしょうか。高校の吹奏楽部で指揮者になって、指揮の楽しさに目覚めました。しかし、この時にとんでもない大失敗をしてしまいました。音楽大学卒業後は、経験を積むために国内80以上のアマチュアオーケストラを指揮しました。30歳の時にフランスの国際指揮者コンクールで優勝しました。2009年です。指揮者としての本格的な活動が始まりました。フランス・サン・セルナン大聖堂(世界遺産)でのコンサートも成功させました。
世界で活躍する指揮者の素顔は意外とお茶目
世界で活躍する指揮者、山田和樹さん、普段はどんな方なんでしょうか。にこやかですね。差し入れのチョコの中にプラムが入ったお菓子をもらって、「食べていいのかどうか」だいぶ悩んで、結局食べました。太るかどうかを気にされてました。
ベルリンが拠点
日本にいることが珍しいぐらいです。普段はベルリンが拠点です。今回は日本でのコンサートのために今月末まで日本に滞在しています。12月にはまたヨーロッパに戻ります。こういう生放送のトーク番組は初めてだということで、緊張されているようです。
ベルリン・フィル管弦楽団を指揮することの意味
ベルリン・フィル管弦楽団を指揮することがどれくらいすごいことなのかということをまとめました。ベルリン・フィルはドイツの首都ベルリンに本拠地を置くオーケストラです。143年前、1882年(日本では明治時代)にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が創設されました。楽団の帝王とも呼ばれたヘルベルト・フォン・カラヤンは30年以上にわたって指揮を務めました。世界最高峰と言われる理由は、その演奏力。一人一人が超一流、ソリスト級の演奏力を持つ演奏家集団です。
楽団員自らが指揮者を誰にするかという決定権を持っている
他のオーケストラと違うのが、楽団員自らが指揮者を誰にするかという決定権を持っているということです。自主性を重んじるということがベルリン・フィルの特徴です。
オーケストラでは識者は事務局が決めるという方が多いですが、ベルリンフィルでは楽団員たちが「みんなで次はあの人だ」と決めるということなので、知られていないと声がかかりません。

それだけ超一流の演奏家たちに選ばれる、指名されるということはすごいことですね。
天国と地獄を味わう
ロンドンにマネージャーさんがいますが、その時山田さんはたまたま日本にいて、ロンドンのマネージャーが電話で伝えようとしましたが時差でうまく伝わらなくて、メールが来て、寝ぼけてまなこでメールを開いて、「ベルリン・フィルにデビュー」というのを見て3秒間「あーっ!」と叫びました。しかし、5秒後にはプレッシャーです。「本当に自分でできるのかな?」と天国から地獄へと落ちました。
思ったり早いと思いましたが、巡り合わせなので、と受け止めました。もともと自分が60、70歳の時にできればいいなと思っていました。オファーが来たのは本番の1年半前。そこから入念な準備を重ねていきます。
一番重要なのは初回のリハーサル
一番重要なのは初回のリハーサルです。初対面で第一印象でほぼほぼ決まる部分が多いです。ベルリン・フィルは2日間リハーサルがあって、初日、リハーサル2日目、そして3日目に本番という流れです。
初日はこちらも緊張しますが、100人、ほぼ知らない人を前にして、となれば当然です。しかし、これだけすごいプロの集団になると5分ぐらいで見破られてしまいます。「これはいいものになるな」「この指揮者だったら言うことを聞いてあげよう」とか、「この指揮者はまずいから自分たちだけでやろう」ということを最初の5分ぐらいで決めてしまいます。つかみが大事です。
そういうテレパシー能力のようなものがとても高いです。「空気がどう動いてるか」「こういうことも言えるな」とか「今ちょっと黙っといた方がいいな」とか、そういう力も強いです。
貴重なベルリンフィル初日のリハーサルの映像
貴重な初日のリハーサルの様子も流してくださいました。6月10日、リハーサルの初日です。綺麗なすっきりした何もない部屋です。グランドピアノがあります。緊張の瞬間を前にして入念にスコアをチェックします。
そして山田さんが憧れの舞台に向かいます。コンサートマスターの方が紹介します。さて、第一声は「ドイツ語は上手くないので、英語で大丈夫ですか?」「ここに来れて幸せです」と軽く挨拶。
しかし、実際にリハーサルが始まると「もっと歌手、オペラ歌手、シンガーになったような気持ちで歌ってください」「今はオーケストラのように演奏してしまっています」。みんな、演奏者の方もすごく楽しい表情になってきました。自分の理想とする音を引き出すために、様々な表現を使います。「指を弦で弾いて、もっとビタミンを含んでいくイメージ」「ここは虹のように、虹がかかるイメージです」。
輝かしい楽しいパートのあと、儚さを表現するパートでは「2つの季節があります。春には花が咲いて、そして秋になって葉が散っていきます」「もう少し抽象的な雰囲気。この本の絵のような雰囲気、どこからが緑でどこからが青かはっきりしない、あえて曖昧にしてほしいです」。
どういう音楽であるべきか、明確なアイデアを持っている 手腕は鮮やか
コンサートマスターのワルグリーさんによると「どういう音楽であるべきか、山田さんは明確なアイデアを持っています。それが演奏に現れないと、すぐに分奏で修正する、その手腕は鮮やかでした」。
世界最高の演奏集団 腑に落ちるとその変わり幅はすごい
あんなに細かく指示をするんですね。初日があれですからね。演奏家さんの方にもプライドがありますので、言い方一つで大事故になってしまいます。少し説明しただけで大きく演奏が変わるのが、やはり世界最高の演奏集団。腑に落ちるとその変わり幅はすごいです。
心をなるべくオープンに
最初の5分が大事だということですが、どういうところを意識したんでしょうか。「出たとこ勝負です。自分が絶対こうしたいんだという思いが強すぎないように努力しました。強くなると幅が狭くなってしまいます。最初はどう来るかを全部受け止めようと思いました。心をなるべくオープンにしました。自分の心が狭くならないようにということを心がけていました。その中で自分の思いをどう伝えるかということです。こんだけ言ったらこれだけ変わった。次はどう来るかと思うでやってきました。」
「あまり計画してやっていくタイプではありません。こう来たからじゃあこうしようというのを細かく繰り返していきます」。
コンサートマスターとの関係性
コンサートマスターは一番左側で演奏しているバイオリンの中でリーダーですし、全部の楽団員のタイミングを示したり、どういうタイミングで音を出すかというのを決めるのがコンサートマスターです。コンサートマスターと指揮者の間がうまくいかないと、うまくいかないことになってしまいます。「本当に素晴らしい方でした。周りの方もこの二人の関係性がどうかなというのを見ています」。
心と心が通じた
リハーサルの手応え、最初5分でどうだったんでしょうか。「うまく行くなと。(事前にイメージしていた)とりあえずここから始めて、こう行こうというのも、もう初めからうまくいかなかったので、もういいやと思って、こちらも心がオープンにできたし、そこに相手も返してくださったので、心と心のコミュニケーション、言葉とか音楽のコミュニケーションだけでなく、心と心が通じたような気はありました。これをこのままリハーサルもキープしていけばいいのかなと思いました」。その結果です。
新聞記事が絶賛
地元の新聞記事には絶賛されます。「透明感と穏やかさが織りなす魅力。終演後には大きな喝采が沸き起こり、感謝の気持ちを込めた、親しくしていたかのように感じられるほどだ。一言で言えば実に見事な、もっと聞きたくなるような一夜だ」と絶賛です。
山田さんは「以前から親しくしていたかのようだという言葉が一番嬉しかった」とのことです。実際に会ったのは2日前です。これが山田さんが目指していたような形で、自然体で演奏しているような形です。
もちろん、公演によってはヨーロッパでは容赦なく書きます。そんな中、高い評価を勝ち取りました。
リハーサルもありましたが、本番も3日間ありました。それを終えた時に世界最高の集団はすごいなと思いました。
22日夜、クラシック音楽館で放送
22日夜、クラシック音楽館でこちらの様子がEテレで放送されますね。これもぜひ見たいですね。
若い指揮者を育てる活動
今、山田さんは若い指揮者を育てるという活動にも精力的に取り組んでいます。こちらの映像も流してくれました。識者がどういう気持ちで指揮しているのかが分かります。
4月に指揮者を目指す若手に対するセミナーが東京で行われました。多数の応募者の中から選ばれた4人の候補者は、山田さんが音楽監督を務めるバーミンガム市交響楽団の日本公演の間に行われました。楽団員の方が協力してくれました。
教科書には書かれていない山田流のテクニックを伝えます。一人目はプロの指揮者として活動しています。ある箇所でみんなが指示を待っていました。「みんな、指示を待っていました。あなたは何もしませんでした。右手で指揮をしなくても視線を送るだけでも違いますよ」とアドバイスをします。「良くなりました。何も見逃さないように。指揮者はとても忙しいのです。チェロの顔を見て」と何度も何度も言います。
2人目の高橋星花さんは音大生です。曲のある場所で響きが欲しいと考えていますが、うまく表現できません「響きが欲しい。なぜそこで響きが欲しいと思いますか?なぜならというのが重要です。そこをずっと突き詰めます。ハッピーになりたいということですね。イメージをとにかく具体的にしていこう」という風にしています。
次は広岡さんです。「イメージすることは大事ですが言葉で言うのは簡単ではありません」。最後は嵯峨山さんです。
指揮者は本当に忙しい
「死気は経験値しかないですので、ヒントというか『こう言ったら』とか、言葉で変わる場合もあるし、目線を送ることで変わる場合もあるし、できることを全て総動員しなければいけません。指揮者は本当に忙しいんです。全部をさせてフル稼働させなければいけません」。
素晴らしい演奏家たちだと、何もしなくても自動的にやってくれます。極端な話、上手なオケなら指揮者がいなくてもやってくれます。だからこそ、誰が指揮をするかということが大事になってきます。指揮者がいることでみんながいい演奏ができるならプラスですよね。
「私は分かってるよ」とこちらも、「この人は分かってくれてるな」とこの共感性がとても大事だと考えています。目配せ一つ、目が合うことで共感が生まれたり、これを一つ一つ積み重ねていきます。正確にリズムに合わせてタクトを振るということももちろん重要ですが、じゃあその人が指揮者をやってる意味というのは何なのかということも重要です。
遠くでも目配せをしたり、ウインクしたり、「良かったよ」「OKだったよ」という合図を出したりしています。指揮者の方が動きがダイナミックになるのも分かりますね。
どのようにしてこのような世界的指揮者が生まれたのか 子どものころからの経験と挫折
どのようにしてこのような世界的指揮者が生まれたのかは気になります。意外と子供の頃から音楽を習ってたわけではありません。幼少の頃はオーケストラピットで一人で歌わさせてもらうことができました。幼稚園年少の頃です。たまたま入った幼稚園が音楽教育に力を入れていて、その教育法と出会えたことは良かったです。それが下地になりました。決して音楽一家に育ったということではありません。
幼稚園の中から一人で歌う人が選ばれました。お父さんもお母さんも普通の人、サラリーマン家庭です。
神奈川県の公立学校の吹奏楽部で指揮者に抜擢
いつ指揮に目覚めたのかと言うと、吹奏楽部。神奈川県の公立学校の吹奏楽部で指揮者に抜擢されました。抜擢というか、自主性を重んじる高校だったので、普段は先生が指揮しますが、指揮者も全部生徒がやります。1年生全員一人ずつ指揮していって、生徒が一人ずつ投票して、それで選ぶという学校でした。中学の時は合唱の指揮をしていました。指揮自体は小学校6年生ぐらいからちょくちょくやっていました。そういう経験もあって選ばれたかもしれません。
大変な挫折 部員がいなくなってしまった
そして、ここで大変な挫折を味わえます。なんと部員がいなくなってしまいました。
山田さんのせいだったそうです。辞めたわけではないんですが、部活に来なくなりました。部員は50人ぐらいいましたが、「今日部活を始めます」と言う時に5人しか来ていませんでした。45人が来なくなってしまいました。山田さん自身が独裁的というか、学校の先生みたいになって、独善的になってしまったんだと振り返っています。
その時のことを知る友人に話を聞いてみました。これは貴重ですね。吹奏楽部でホルンを担当していた雨海さん。5人しか残らなかった部員の一人です。「部活動にストイックに真面目に向き合って向き合うあまり、一人で空回りしているところが当時あったと思う」ということです。
山田さんは当時から指揮者としてどういう演奏にしたいか明確に伝えていました。山田君が選んだ曲はエルガーの威風堂々第1番。「記憶にあるのが『ショパン風に』と言われました。威風堂々をショパン風にと言われてもみんなはてなマークですよね。威風堂々はいい曲で、中間部の有名なメロディのところを叙情的にとか、コラールを響くようにすればいいのかなと解釈しました」とのこと。
葛藤している空気は感じました。「山田君頑張ってるからついて行こうかなと思ってついて行った」ということです。山田さんがくれた、今も忘れられない思い出があります。直筆の手紙です。「朝、正門から入ってきて、吹奏楽部専用通路を歩いていると、気品あるアマチュアのホルンの音が聞こえてきて、一日の学校生活の始まりを清々しくさせてくれます」という手紙です。
コンクールが近くなると、部員一人一人に直筆の手紙を送っていたということです。かなり長文ですね。紙いっぱいに書いてあって、「こういう手紙をもらうということがそれまであまりありませんでした。びっくりするのと同時に読んで奮い立つものがありました」。
山田さんの演奏会はほぼ見に行っているということです。ベルリンにも足を運ばれたということです。「出会ってから30年ですが、山田さんに思うことは、人を巻き込む力もあるし、巻き込まれたくなる人柄が魅力です。一緒にいたいと感じさせます」。
手紙を書いたこと、山田さん自身も忘れていました。「言われてみたらそうかもなと思いました。部員がいなくなってしまったので、一人一人に手紙を書いて思いを伝えるようにしました。部活に来ないから渡せないので、授業の休み時間に相手のクラスに行って渡していました。最終的には演奏会に向けて、演奏会を全員で迎えたいと。それは将来、自分が指揮者になるぞというのと引っ掛けていて、これで部員が欠けてる状態だったらこの職業として指揮者を目指すわけにもいかない。全員戻ってきたら指揮者を目指そうと考えていました。最終的には全員が戻ってきてくれました」。
当時はストレートにガンガン自分の思いを伝えていました。5人になる以外もたくさんの失敗をしました。「高校時代に指揮者として、『してはいけないこと』はほぼ全てやりました。そこで学びました。これがなければベルリンのこともなかっただろう」ということです。
30年前の手紙を取っといてくださってる天海さんもすごいですよね。



















