この記事では2025年7月4日、金曜日のNHKテレビ「あさイチ」のプレミアムトークに出演する、佐野元春さんです。デビュー45周年、20年ぶりのライブツアー、SOMEDAYなどの80年代大ヒット曲の再録音など話題も多い佐野元春さんについて、曲作り、ライブツアー、私生活など、あさイチ出演時のインタビュー内容を徹底解説します。
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佐野元春さん 人生で初めてトーク番組、生放送
7月4日、佐野元春さん。トーク番組、生放送は人生で初めてのことですか。黒い革ジャンのロックな服装です。が、にこやかな笑顔です。自分応援ソング特集、2024年5月放送で博多大吉さんの自分応援ソングがサムデイ。新幹線のCMソングでした。「卒業おめでとう、頑張るよ」という新幹線に乗って行く、見送っていくという、ちょうど世代だったので大人になった証だと。学校卒業して頑張っていくよという曲でした。
後ほど紹介される予定なのがテレビ初公開の「SOMEDAY」の映像。ファンの間でも伝説と言われてる映像です。LAND HO横浜スタジアム、1994年9月15日です。
今年はデビュー45周年 大規模なライブツアーを予定
1980年デビューで今年はデビュー45周年。「ガラスのジェネレーション」はピアノを弾きながら立ったままの弾き語り。最近はもうちょっと爽やかなロックです。明日から20年ぶりの大規模なライブツアーになります。
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全国27公演のツアー。これだけの大規模なツアーは久しぶりです。45周年なのでこれまであまり行けなかった場所でもコンサートができるということで楽しみにしているそうです。昔の若い頃のモジャモジャの髪型の印象がありますよね。
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今回は久しぶりのツアーなので、昔の曲、そして今の曲をできるだけたくさん演奏したいと考えています。10代のころに始めた人も今40代50代だと思います。また新しい人も世代も聞いてくれてるので、みんなが楽しめるコンサートにしたいと考えています。佐野元春さん、ずっとにこやかですね。お父さんが肩の上に子供を乗せて一緒に歌っているという姿を見かけることもあるそうです。
ザ・ソングライターズ
「ザ・ソングライターズ」という番組ではMr.Childrenの桜井和寿さん、サカナクションの山口一郎さん、などなど日本を代表するソングライターの方々から、佐野元春さんしか引き出せない話を聞いてきました。他になりたかった職業はとか、うんざりするようなことはとか、やりがいなことも聞いてます。自分の動画チャンネルでは愛犬の様子、「約束の橋」も演奏されています。
愛犬はゾーイくん
愛犬はゾーイくんです。かなり大きな犬ですね。バンドメンバーがゾーイにプレゼントして、ゾーイが何を選ぶかという動画でした。
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佐野さんから皆さんに聞きたいことは「最近頭にしたことはありますか」というテーマです。あるいは「最近ワクワクしたことがありますか」ということです。ロックですね。最近は頭に来ることはなくて、ワクワクすることが多いということです。若い頃はいつもカッカしていたということです。
スガシカオさんが語る佐野元春
「かっこいい大人の代名詞」
スガシカオさんが登場。後ろはSSLのミキサーですね。中学生高校生の時にはみんな佐野さんを聞いていました。集まって音楽の話をすると、佐野元春の新譜がどうのこうのということになりました。かっこいい大人の代名詞でした。
ネガティブなことが歌の中に出てこない
ファンであることを公言していますが、スガシカオさん。佐野さんは嫌なことがあったり、誰かの悪口を言ったり、文句を言ったり、ネガティブなことが歌の中に出てきません。本人からもそういうオーラが出ていません。
日常生活で嫌なことがあったり、ネガティブな感情に押しつぶされそうな時には、佐野さんの曲を帰りの車の中で聞くと、そういうものが全部晴れていきます。前向きに背中を押してくれる感じですよね。
「ネガティブなことは全部横にそれて言って、もっと大きいものと戦わなきゃいけない、もっと大きな視点でものを見て人生を生きなきゃいけない」と気づかされます。これが佐野さんがやってきた音楽の一貫している方向性ではないでしょうか。
国民的な大ヒット曲のイメージに縛られない
アーティストとしての姿勢も尊敬しています。「アンジェリーナ」や「サムデイ」のような国民的な大ヒット曲があると、アーティストはそこから抜け出すのは大変です。多くのファンにそれを求められてしまうところがあります。佐野さんはそういうところをすごくクールに、常に自分がやりたい発したいメッセージや新しい音楽に取り組んでやり続けています。そのモチベーションをこの長時間持ち続けることはすごいと尊敬しています。「新しい曲を作ってやろう、もっとこういうことが言いたい」というそのマインドをずっとキープしていること、それはとても難しいことです。キープしてやり続けていらっしゃいます。
佐野元春の作詞・作曲術
毎日曲を書いている
なんと、曲を毎日書いているそうです。朝起きて考え事をすると言葉が出てきます。何か思い浮かべばメモをしてきて、それが何日か後に曲になっていたりすることもあります。すぐに消えてしまうこともあります。普段は朝起きてすぐに考え事するということです。
目に見えないものを音楽という形にしていくことが毎日の習慣になっている
ソングライターなので皆さんの目に見えないものを音楽という形にしていく仕事です。それをずっとやっていますのでもう習慣です。起きてすぐ頭をフル回転します。
自分が書く曲は自分が主人公ではない
実際正直に言うと、自分が書く曲は自分が主人公ではありません。自分に近い誰かを主人公にして、その彼がどう感じるのか、どういう行動するのかということに思いを馳せて曲ができています。10代の時にはいろんなことを考えていましたが、それは自分に似た町の少年です。
元春クラシックスの再定義
今の新しい取り組みが「元春クラシックスの再定義」です。「ハヤブサジェット(URLはこちら)」というアルバムです。だいたい80年代90年代に書いた曲を収録しました。その頃に書いた曲を今に蘇らせた新しい世代の人たちにも聞いてもらいたいというところから、自分の曲を見直して再収録、再録音しました。
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ガラスのジェネレーションはタイトルも変更
ガラスのジェネレーションも1980年にリリースした時のジャケットは当時の時代感が出てますね。曲調だけではなくタイトルも「つまらない大人にはなりたくない」というタイトルになりました。すごくスピード感がありますね。配信リリースです。
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オリジナルのテーマをそのままに、現代的に表現するとどうなるかに挑戦
昔の歌をただ演奏する、カバーとは全然違いますね。ポピュラーソングはその時代時代に好まれるテンポ、リズム、表現などがあります。オリジナルの「ガラスのジェネレーション」のテーマをそのままに、現代的に表現するとどうなるかというのは課題でした。オリジナルは「ガラスのジェネレーション」とかっこつけて言っていましたが、でもこの曲の中の一番のパワーワード、訴えたかったことは「つまらない大人にはなりたくない」ということなので、それを前面に出すことにしました。これを若い世代に届けていきたいということです。
クリエイター佐野元春
発信したいものがあってそれをどの形で発信するのがいいかを常に考えている
この曲作りに向き合うスタンスを、スガシカオさんは「彼こそクリエイターだ」と評しています。前に佐野さんに聞いた時にもし音楽以外で自分以外を表現できるメディアやコンテンツがあったら、佐野さんは音楽を捨ててそっちへ行きますかと聞いたら「当たり前じゃない」と言われました。自分の表現したいものは表現できるメディアであれば、多分何でもいいと思っている人ですから、発信したいものがあってそれをどの形で発信するのがいいかを常に考えているのではないかと思っています。だからこそ新しい挑戦もされているのかもしれませんね。
今取り組んでいるロックンロール。音楽は懐が深いものなので、表現しても表現しても物足りないものを感じます。10代の頃からロッカー好きで、自分も大人になって曲は書けるようになったらものをやりたいなと思ってきました。今はこれを死ぬまでやるのかなと考えています。
佐野元春のザ・ソングライターズ
NHKの番組で佐野さんのクリエイター気質が爆発していたのが、2009年から2012年にわたって放送された「佐野元春のザ・ソングライターズ」という対談番組です。佐野さんの母校の立教大学で学生たちに向けて大学の教室で収録されていました。公開講義のような形で収録されてきました。2009年にはギャラクシー賞も受賞しました。小田和正さん、さだまさしさん、松本隆さん、矢野晶子さんらが出演されていました。
意外と固い番組だった
スガシカオさんは「各言葉にリアリティがないのは怖い」ということで、喫茶店でアルバイトをしていました。「嘘みたいな夢物語ものを歌いたくない」と思っていました。スガシカオさんは「けっこう固い番組なので面白いことも言いたい」と思っていましたが、佐野さんの前だと冗談とかあまり言えませんでした。意外と学校の先生のような雰囲気です。ちょっと学校の面談か面接のような感じでした。
「定型質問」という変わった10個の質問
番組の中で必ず行われていたのは、「定型質問」という変わった10個の質問です。好きな言葉は?嫌いな言葉は?
松田聖子さんはレコーディング当日に歌詞を渡されていた
松本隆さんが出演された時には、松田聖子さんは全て瞬間芸なので、「これからレコーディングしますよ」という時に歌詞を渡されていたそうです。事前に見てもらって練習してきてもらうということはなかったそうです。すごい、いいですね。3回練習で歌って、次3テイクぐらい録音したらもう完成してしまいます。本当に天才だったんですね。
佐野元春さん自身も企画・演出にも参加
佐野元春さん自身もワクワクされていました。「普段楽屋でこんな真面目な話をすることはあまりありません。でも自分もソングライターで、皆さんも素晴らしいソングライターです。彼らがどんな風にして曲を書くのか、どんな風にしよう書いてるのかということは前々から知りたいと思っていました。いい番組を企画して、気になる方を呼んで、それぞれの秘訣を聞き出していきました」。ご本人もすごく楽しまれていたようです。
書籍も出版された
山崎まさよしさん、岸田繁さん、鈴木圭一さんなども出演されていました。「そういう番組がなかったのでやってみようかということになりました。やってよかったと思いますし、10年後に書籍も出版されました。テレビでは語られなかったことも含めて1冊の分厚い本になった時には本当に感慨深かった」ということです。若いクリエイターさんの方にも読んでほしいということです。創作のヒントがいっぱい詰まっています。(URLはこちら)
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自分自身が誰かの言葉を取り入れたりといったこともしています。「普段はあまり人の意見は聞かない人だ」ということですが、「聞くのは楽しかった」ということです。歴史的な資料の価値もありますね。
ハートのイヤリングの作曲者 佐野元春のペンネーム、ホーランド・ローズが生まれたきっかけ
実は松田聖子さんの「ハートのイヤリング」という曲。作曲のところに「ホーランド・ローズ」と書いてありましたが、これが佐野元春さんのペンネームだったんです。昔「サウンドストリート」というラジオ番組やっていましたが、そのリスナーからお手紙をいただきました。「ポール&オーツ」を聞き間違えて「ホーランド・ローズ」という人の曲ですとリクエストが来て、それは素敵な響きだなということで使いました。これはきっと誰も知らなかった話ではないでしょうか。
松本隆さんから曲の依頼が来ました。「ホーランド・ローズという名前で出したい」と言ったら「いいよ」と言われたのでそのままそうなりました。松田聖子さんは当時のスターですし、ボーカルも素晴らしい方ですので緊張しましたが、「彼女の曲を書くならナンバーワンヒットにならなきゃだめなんだよ」と言われてさらにプレッシャーを感じました。確か2曲を持って行ったうちの1曲が採用されました。ナンバーワンになって良かったということです。
佐野元春さんの原点、ご両親や子供のころ
佐野元春さんのご両親
ここから佐野元春さんの原点に向かって行きます。佐野元春さんのご両親は佐野正三さんと佐野富美子さんです。お父さんは、会社を経営なさっていました。イケメンですね。お母さん元女優志望でジャズ喫茶を経営していたということです。割と自由な両親でした。元春さんが生まれる前の若い頃の写真が紹介されました。
母親が音楽の道を応援してくれた
母親は女優を目指していたという話を聞きました。東映ニューフェイスのオーディションに受かったけれども、家族から大反対されて仕方なくその道を諦めたそうです。そのため元春さんが12歳の頃に音楽の道に進みたいんだと言ったら、父親はだめだと言いましたが、母親は「やりたいことをやりなさい」と言ってくれました。
子どものころから家に音楽が流れていた
母親は音楽が好きでした。物心ついた時にはSP盤がいっぱい家にありました。小さい頃からそれを聞いていましたし、両親もそれに合わせてよくダンスをされていたということです。おしゃれでセンスのいいご両親だったんですね。
ご両親がどちらも歌手の雪村いづみさんの大ファンだった
ご両親がどちらも歌手の雪村いづみさんの大ファンだったということです。1950年代の大スターです。ソングライターズを見てくださってバナナお手紙をくれました。幸村さんに会いたいと思って会うチャンスを作っていただいて、幸村さんに曲を提供することになって、自分のレベルから出してもらいました。「東京シック」という曲です。佐野元春さんが生まれる前に、雪村さんはもうダンスホールで専属歌手をされていました。ご両親はその生歌でダンスホールで踊っていました。すごいご縁ですね。
日本初!?今までになかった新しいプロモーション活動
1980年、24歳で「アンジェリーナ」でメジャーデビューしました。デビュー後に今までになかった新しいプロモーション活動をしてきました。日本初じゃないかという佐野元春さんのプロモーション活動。
国内初の本格的なミュージックビデオ作製 ヤングブラッズのMV
1985年、国内初の本格的なミュージックビデオを作りました。ちょうどニューヨークでレコーディングしていましたが、その頃にMTVというものが発展していて、ミュージシャンたちがかっこいいビデオを使ってプロモーションをしていました。「日本もこういうものが好まれるだろう」と思って帰ってきてすぐに仲間を集めてミュージックビデオを作ろうと思いました。1985年の「ヤングブラッズ」のミュージックビデオ。懐かしいですね。この曲もいい曲です。代々木公園で収録されたそうです。テレビ出演やラジオでのプロモーションが一般的だった時代に新たな旋風を作りました。衝撃的に話題になりました。
スガシカオさんも感動しました。「見に行っとけば良かったと思いました。あのビデオをひたすら見ていました。テレビでオンエアされたものを友達がビデオで録画して借りてきて繰り返し見ていました。本当にかっこよかったです」。
当時は地上波で海外のミュージックビデオを流す番組がありましたが、国内ミュージシャンのミュージックビデオはありませんでしたので、「これはかっこいい、よく作りたい」と思いました。当時はカメラの手配、編集も今ほど簡単ではありませんでした。代々木公園でお正月に撮影。劇場的にストリートライブをやって半分ドキュメンタリーのような形で撮影しました。明治神宮の前でしたので初詣のお客さんだったんですね。最後の頃にはたくさんのお客さんになりました。
ヤングブラッズのミュージックビデオも再定義
このヤングブラッズのミュージックビデオも2024年に再定義して「新たにに作り直そう」として発表されました。若いダンスチームとコラボをしました。同じ代々木公園で撮りたい、同じアングルで歩道橋の若いジェネレーションを取りたいというコンセプトで作りました。ダンスチームはサイバーエージェントレジットという国内1級のダンスチームで、創作ダンスをしたいと言ってくれました。佐野さんから直接コンタクトを取りました。
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日本人初のアーティスト公式ウェブサイトを開設
1995年、日本人初のアーティスト公式ウェブサイトを開設しました。これも佐野さんではないかということです。Windows 95が発売されてようやくパソコンが身近になっていく、インターネット時代の幕開けという頃です。
インターネットにすごく可能性を感じていましたので「ウェブサイトを作ってみようよ」ということになりました。教科書はありませんでしたが、いろんなウェブサイトを見て見よう見まねで作りました。自分の家のガレージにサーバーを持ってきてそこから発信をしました。とても良い回線を引いて配信をしました。本当に手作りインターネットでした。国内でインターネットに接続してる人が0.06%しかいなかった時代です。まだ誰も見ていなかったと思います。
でもこの時代から「いずれこれが必要になる」と考えていました。これまでは通信はできていましたが、通信ができるのであれば音や映像もコミュニケーションができるようになるだろうと想像していました。これは自分のやってることに深く関係してくると直感しました。本当にクリエイターでありチャレンジなんですね。当然費用もかかるし、周りの人も二の足を踏んだり販売したりしたかもしれません。費用は意外とかかりませんでしたが、あとはアイデアだけでファンとダイレクトに繋がれるという思いが強かったので、掲示板システムを作ったり工夫して楽しんでいました。
国内初の有料インターネットライブ配信
そして1998年、初めて行ったのが国内初の有料インターネットライブ配信。これも早いですね。まだ回線も不安定だったので大変だったのではないでしょうか。自分が所属していたソニーミュージックはその頃からインターネットを使って何か有意義なことをしたい、ビジネスをしたいと考えていました。ソニーから「インターネットライブを有料でやってみたいんだけどどうか」と声をかけてくれました。
ほぼうまくいきましたが、途中回線が所々ダウンしたところがあったようです。ただ当時は見ている方も大きな実験だと見ていたので、それほど大きなクレームはなかったようです。ソニーの技術スタッフのおかげです。40年間本当に頭が柔らかく新しいことにチャレンジされてきたということですね。
お金をかけずにアイデアを生かして楽しいことをやりたい
「お金をかけずに楽しいことをやりたい」という気持ちがどっかにあります。「お金をかけたら楽しいことはいっぱいあるかもしれないけど、そうじゃなくてアイデアを生かして楽しくやっていこう」ということが基本にあるということです。佐野さんの表情もだいぶリラックスされてきましたね。
テレビ初公開のライブ映像はハートランドの最後のライブ
80年代のハートランド、90年代のホボキングバンド、現在のコヨーテバンドですが、この日のテレビ初公開のライブ映像はハートランドの最後のライブです。
佐野元春さんのバンドはコーラスが厚いですよね。コーラスの方もいますが、さらにドラムの方もコーラスをやってるというのは珍しいですね。横浜スタジアム、屋外なのでテントの下で演奏されている方もいます。
ハートランドの最後の『SOMEDAY』
佐野さん自身も感慨深い映像です。14年ぐらい続いたバンドです。14年の最後です。「このバンドと一緒に『SOMEDAY』を演奏するのは最後なんだ」という思いが巡っていました。佐野元春さんにとっても特別な映像です。これまで表には出ていませんでしたが、ソニーミュージックが横浜スタジアムの最後の様子をすべて録画録音してくれていたので、今年それがパッケージになって出るそうです。当時、10曲ぐらいは商品として出ました(恐らくCafé Bohemia Live! 1986-1987 当時はLDかVHSのみ発売 URLはこちら)が、全編ではありませんでした。今回は改めて全部映像として出ました。時代を超えて魅力が光り輝いています。
2025年9月に一斉上映予定
公式インスタによると、2025年9月15日(月・祝)に、佐野元春ライブ・フィルム『LAND HO! 横浜スタジアム 1994.9.15』が全国26都市27劇場で一斉上映されるようです。この後、リリースされることを期待したいですね。
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佐野元春さんに一問一答
なんと今回佐野元春さんに一問一答です。「暑くて食欲がない時、夏によく食べるものはありますか」という質問です。「バナナです。食べるとすぐ元気になる」ということです。バナナも冷やすと美味しいですよね。
以前佐野さんがラジオで「自分は朝寝坊だし」と言われていたので心配されていましたが、今朝は5時に起きられたそうです。今はもう朝寝坊ではないそうです。普段は7時8時ぐらいに起きていらっしゃるそうです。
食べ物に関する質問が多いそうです。今朝の朝ごはんもバナナだったそうです。パン派ご飯派かというと、お米派だそうです。
最近はまっている食べ物はバナナ
最近はまっている食べ物はバナナです。1日バナナ2本で済ませる時もあるそうです。朝と夜。ライブをやってる時にはそうは行きません。肉、タンパク質を食べる時もありますが、普段動かない時にはバナナで済ます時の方が多いそうです。やはり体型の維持なども考えていらっしゃるんですよね。
視聴者の方からのメッセージも素敵なエピソードばかり
視聴者の方からのメッセージも1500通を超えています。
「ソングライターズ」に参加していたという方、立教大学の学生さん、収録に参加していました。「あの時代に学生でいて良かった」と、毎回ドキドキ、幸福な時間でした。「学生にとって詩やポエムは照れくさい」というイメージでしたが、そういったイメージが払拭されました。
ケータリングの方にもお礼を言ってから帰る佐野元春さん
1986年4月からの日本青年館の「マイ・スリー・ライブ」にケータリングのバイトに入っていました。「帰る時に給湯室のバイトまで足を運んで、「今夜もありがとう、おやすみ」と言ってくださった佐野さんの姿、本当に嬉しくて心に残ってる」ということです。素敵ですね。そういったところまでチームのメンバーだと考えていたということですね。
20年前に妊婦だった時にコンサートに行かれた方。「スタンディングは大変でしたが、今そのお腹にいたお子さんも母親になってる」ということです。
私の青春は元春のとともにあった
佐野元春さん、メッセージ3000通以上届いたようですね。朝起きて頭がすぐフル回転というのは羨ましいですよね。「私の青春は元春のとともにあった」ということです。「映画のように映像が見える」「ステージはかっこいい」「元春をよろしくお願いします」という方が多かったようです。
NHK FMのサウンドストリート
NHK FMのサウンドストリートも長くやっていらっしゃいましたね。あれは楽しかったということです。
佐野さんの歌詞には花がよく出てくる理由
佐野元春さんへ質問です。佐野さんの歌詞には花がよく出てきますよね。コスモスやバラやグラジオラス、そしてレーベルの名前もデイジです。花からはいろんなパワーを感じるからということです。治療では家電に見える花も、土の下では根っこを張り巡らせていき、強く生きようとしていますよね。
ワクワクすること
この日の佐野元春さん視聴者の方へのメッセージのお題はワクワクすること。「子育てが終わって地図を広げて、思い立ったところに印をつけて、バイクで回るのが楽しみで、ワクワクする」という方もいます。